これから
たくさんの方に
ご心配をおかけしています
道路拡張
園舎老朽化
様々な 時代の背景に
翻弄されている
そう考えるべきでしょうか
確かに
いろいろな制約の中で
考えなくてはならないことが
山のようにあります
「ちいさいおうち」のように
「そこ」にあったようちえんが
「どこ」へ向かうのか
この太いイチョウの木は
樹齢70年を超え
大きなかたちで残すには
大きくなりすぎたそうです
ちいさなかたちで
次代につなげていきたい
そう願っています
たわわに実る柿も
ザクロも
新しい園舎に
移植することはできません
この数年
病気で枯れていく木も増えました
この町に
この環境に
木々も悲鳴をあげているのかもしれません
大好きな木々を
なくしたくないのは
みんな 同じでしょう
こころが 痛みます
自分たちの手で
なくしていくことは
手足をもがれるように
苦しいことです
それでも
時代は待ってはくれません
今ある 景色が 光景が
これから先
今と同じではないかもしれません
それでも
生きていくものの 力を信じます
時代に 翻弄されるのではなく
生きていく その 力を信じます
森が
昔は 草はら だったように
こどもと 保育者がいれば
保育ができる
私たち保育者は
試されているようです
「保育」そのものを
こどもと 保育者のちからを
だから
ちからのかぎり
学んでいきたいと思います